宮崎空港で見つかった「太平洋戦争時に投下された爆弾」の処理が、12月8日に行われます。
半径400メートル以内の住民避難命令が出されました。我社の工場も避難をしなくてはならず、いろいろ検討した結果、その日は、休日として、次の日曜日と振替にすることにしました。
航空各社をはじめ、多くの方が支障を余儀なくされます。
いみじくもその日は、「真珠湾攻撃」の日です。
戦争の影響は、67年過ぎた今でも、まだまだ残っているのだと思います。今私たちが平和に暮らせるのは、あの戦争で散った多くの若い人の命のお蔭だと感謝しなくては。
忘れてはいけない、後世に語り継がなくてはいけない、戦後生まれの私がこの年になってその責任を感じています。
平和な生活ができることに、感謝します。